スマホ仏教辞典編纂室
用語検索(ABCで検索してください)解説は現代人向けの私流です。
A
○「悪人」
自分は悪人でないと思っている人
B
○「仏」「ブッダ」
自分の苦を楽しみに変えながら 他者の苦を解決しようと寄り添って生きる人
いのちに終わりがないことに気づいた人
C
D
〇「読経」
どきょうと読みます。
釈迦の説法を編集したものを漢字にしたものが「お経」。
今生活している現実の世界を「この世」と呼び 死によって姿が見えなくなった先を「あの世」と区別します。「あの世」と「いのち」を通わせるために必要な行為のこと。
E
〇「縁起」
人は何歳になっても成長できるという真実。
たとえば 赤ちゃん授かったとき親になる。そして子供と共に親として成長するという真実。
自分が変われば 相手は必ず変わる(別意:相手を変えることはできないが 自分は変えられる)
G
〇「ご利益」
真実に従って暮らす人生になること。
それが不可能と気づいても 真実に気づいて暮らす人生になること。
死ぬのは悲しくそして嫌だが 死ぬことが怖いと思わなくなること。
「人間に産んでいただいてよかった」と気づけること。
「仏に成らせていただく道」に出会えたこと。
H
〇「早く死にたい」という人
事情があって「早く死にたい」と口にされる人がおられます。決して変人でもなく特殊な人ではありません。
苦しさから離れたいという気持ちの表現の一つです。本人は気づいておられなくても 「そうだろうわかっている」と如来に寄り添われている人です。
○「仏さま」
一切の繋がりを総称した呼び名 あるいは一切は縁によって変化しているという「本来無」の呼び名
「如来」という呼び名がもっと正確な表現と思うが 言葉のイメージは固い
〇「法名」
仏教界には法名とか戒名という名前がありますが浄土真宗では法名といっています。自分で希望し、教団の責任者である門主から名前をいただきます。戸籍名 芸名や号あるいはマイナンバーとかいろいろあるが そのなかで一番希少な名前。名づけのお礼は1万円程度。
○「墓」
自分が死ぬと 火葬にされ骨にされ収められるところ
○「墓地」
墓が集まっている場所
その場所に行くと「なぜ生きるか」「どう生きるか」を考えることもできそうな場所
○「非僧非俗」
あなたや私たちのような生活者
○「本願」
苦しみから逃れようとしているあなたに、かならず穏やかな生き方に出会えるようにするという約束
○「彼岸」
いのちが還って仏さまになるところで 発見者はお釈迦さま。H3ロケットなど人間が考えてつくった方法では行けない。そこに行く方法は そこから自分に向けて届いている声の道に足をつけること。
I
〇「一子地(いっしじ)」
如来さまがお救いの対象にされる人のこと。
あなた一人のことです。
J
○「浄土」
ウソつきが「私はウソつきです」と話しているところ
「ナモアミダブツ」が空気のように充満している場所
○「地獄」
自分がつくった明日の居場所 落語や絵本で紹介されているように 行く人は大変多い
抜け出す「のぞみ」はないが 「ひかり」が聞こえるところ
○「成仏」
人間が無意識に目指している目標 そこに向かう道に出会うと道中が楽しくなる。
実が弾け新しいいのちが誕生する状態。
K
○「苦」
思い通りにならないことで 死んでも続く。 それを束ねたら「欲」という字になる。
〇「供養」
ブツにたいして 「生かさせていただいている」お礼をすること
○「境内」
お寺の建物も含め お坊さんがつくっているスペースのこと。入りにくい場所。
M
〇「末法」
どんなにもがいても闇の中から出ることができず 一生を終える時代。
〇「滅法」
宗教のことばが読めなくなってしまった時代。現代のこと。
経文の言葉はいつまでも変わらずその理解もできるが 生活に反映されなくなる時代。
○「瞑想」
一つの言葉を口にして 別の一つのことを考え続け何かに気づく行動。
右脳の感覚を鋭くする方法。
〇「夢告」
聖徳太子が京都で建立されたという六角堂で寝泊まりし 夢でメッセージを見るという参篭をされた親鸞さまが見られた夢です。参篭を始めて95日目の早朝ご覧になったという記録が残されています。
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」という声と文字が見えたといわれます。
女犯とは女性と交わることで 結婚を意味します。そうなったときは観音様が「私が女身になりましょう。そして一生涯寄り添って支え 人生の終わりにはお浄土にお連れ致します」と読みます。
ここ夢をご覧になったことが他力本願との出会いの瞬間です。
性欲をはじめとする煩悩を断つことができない自分を 寄り添いながら導いていただく働きとの出会いが始まります。
夢が覚め終わるや否や吉川にある草庵の主 法然さまをお訪ねになり 長かった自力修行の道からお出になりました。
○「迷い」
目を閉じて 同じようにしている人々に行く道を聞いて生きている状態のこと。あるいは目は開いているものの 後ろ向きに前に進んでいる姿のことです。損得とか勝ち負け以外に 大切な基準があることがわからない状態です。
N
○「念仏」
浄土に迎えるという働きが届き 声になって出ること。
○「涅槃寂静」
苦しみは自分が創り出していると気づいて 迷いが消え明かりが見える状態のこと。
〇「難中之難」
自分の生き方を貫き通すこと。
O
○「往生」
真実に向かって進むこと。
○「お寺」
参加者が主役と観客になりながら 人生模様を演じるステージのこと。
S
〇「信心」
自分の本当の姿といのちの正体に気づくこと。
〇「正定聚」(しょうじょうじゅ)
お坊さんの言葉を実行している人 必ずお浄土に迎えられることになっている人。
○「僧侶」
世を憂いながらも 世の中を汚して暮らしていることを自覚できている人。さらにその生き方を見せながら 真実に恥じながらただ念仏する人。
○「宗教」
世の中の出来事や生活について その中にある真実を言葉にしてまとめられたもの。
○「諸行無常」
今までのことは明日も同じようにはならないということ。流れる水のようなもので 人間の力でとどめることはできないという真実の言葉です。
○「諸法無我」
未来は成るようになるが 自分が思うようにはならないことです。それでも縁によって未来を創ることはできますから 自分がどのような縁を作るかということは大切です。
〇「初転法輪」
世の中でおこる真実という見えないことを体系化し 言葉にして伝える行動のこと。
それはお釈迦さまによって実現された出来事で 『仏典』によって伝えられています。現実の暮らしの中で行き詰ったことから気づかされることが多く お坊さんに学ぶといいかもわかりません。
T
○『歎異抄』
親鸞さまが歩かれた道中でお話されていたことを 一緒に歩かれたお方が思い出しながら残された本。
作者は唯円というお坊さんと思われます。
「無人島にただ一冊の本を持って行くとしたら、それは歎異抄」と言われたのは 京都大学の先生であった三木清さん。
「招集を受けてから読み続けた歎異抄に、真実のにおいを感じていた」と 作家の司馬遼太郎さんはおっしゃいます。
「この世に産まれてよかったと感じる本」とは私の感想。晩年になって この本をたびたび開いています。
〇他力本願
「逆転の発想」によって届いていた往生の道。絶望の中に届いていた願いのこと。